あっちのblogからマルっとコピった。
当日は南東の風が吹くから、上りは単独でもよいけれど、下った後の平坦で単独はきっついゾと考えつつ、前日の晩はぐっすり寝た。あっつ~いレースではあったけれど、上りの暑さは言われていた通りの過酷さだったけれど、早朝の虹が架かりながらの雨で直前まで少しでも涼しさがあったのが幸いでした。それでも、chbちゃんに借りたローラーで30-40分くらいのアップ中は、日陰であっても汗が尋常ではありませんでした。
スタートラインで前から100人中の5列目前後は、僕には十分でした。1-3周回目で上り、下り、平坦で大きな先頭集団に残れて少し安心、たまには逃げを試みる、例えば梅丹っぽいジャージの選手とか、選手を確認できるほど前の方に位置できるし、平坦では久し振りの集団走行を満喫さえした。
チームキッズのnttさんとは2回くらい本部前の平坦区間で、自己紹介混じりに、会話を交わした。まだ大きかった先頭集団内で「今何周目なんですかね→5周目→6周目かと思った、きついなあ、足けっこう貯められているんじゃないですか」、6周回目に少集団化した第二集団内で「上りに入ったら先頭もバラけて、また一つになるから、辛抱→はぃぃ」、そのとおりに上りでは一応最後尾近くではあるけれど集団のおしりについたものの、上りきったところで集団に置いていかれた。うねうねくねくね農道から下りに入る前までが自分にとってのポイントだった。
何周回目かで本部を過ぎた辺りで、気付くとhdが先頭でローテーションを廻している!?、いや、、廻していない、引き続けている(上りに入っても暫くは)、、漢だ、、と思うも、流石に上って暫くすると集団に埋もれたため登り切る直前でサポートに立ってくれていたマッサーyttnをはじめ多くの応援の人らは、hdの漢気を見ていなかったことが人事ながら残念でならない。
hdには「n~g~t~っ、残ってるじゃねえかぁ、はぁ、はぁ」と声を掛けられたが、そこは上りきったうねうねくねくね農道では前述のとおり毎周回最もヘロヘロだった区間なので、「えああ、はぁぁ、はぁぁ」なんて言ったかどうか返事したのみだった。
レース中はfjtさんを目標に走れていたので、とても安心していられた。fjtさんの「clnトレインですよ!!、二人は気付いていないのかなあ、clnトレイン完成だあ!」に対して、「ホントですねえ」とかろうじて答えるものの、そこは上りきったうねうねくねくね農道でそれ以上は「んっ、はぁはぁ」。二人もレースに集中しているようで(無言、気付かれず)でした。もう少し何度も長い時間、チームが近くにいたら、もっと楽しかったでしょうね。
4-5周回目は少うしづつ減っていく集団の後ろに位置するようになり、中切れを詰める動きも必要になったりもした。急なカーブはどれも、どのラインが最適なのかいまいち分からず、その時々周りの選手を見つつラインを選ぶしかなかった。
ふと集団内を見渡して近くにいたchbちゃんを見たら、ボトルは半分くらいに減った一本だけだったから、いらなかったら重くなるだけだろうけれど一応聞いてみていらないなら身体に掛けよう、そんでもう一本をyttnからこの周回でまた貰おう、と考えて、声を掛けた。「chbちゃん水いる?→無言(聞こえなかった?)→chbちゃん水、自分の分はもう一本あるから→無言(視線はくれたから、気付いてはくれた)→(もう一度)水いる?→無言(ボトルを受け取る)」。レースに集中しているようでした。
(多分)6周回目の上りのペースアップで明らかに集団から遅れ、それでも攣るのを恐れダンシングせず、追い切れず。集団で前の選手の後輪にハスって落車しそう、させそうになったのも、この周回だったかもしれない。スミマセンデシタ、大事にならずに良かったです。
7周回目の平坦区間で、7-8名の小集団で4-5名で何となくローテーションを廻していると上り後にも先頭に残っていたchbちゃんが一人で見えた。「あれ、ひとりだ、どうしたんだろ→(知り合いなんですか?という周りの人の視線)→chbちゃーん→chbちゃーん、後ろからくるよー→(無言)→ついてこれるー?→(無言)」、またしても聞こえているのかどうか分からないまま、結局この小集団でchbちゃんをパスしていった。
レース中は、NEOSのジャージの選手、僕と同じizalcoに乗っていた上りの強かった選手、優勝した選手など、6周回目までにはこの人らに食らいついていくぞとちらちら見ていました。
7-8周回目の上りでは、膝裏、ふくらはぎの上端が攣る前兆を感じつつ、その時にいる小集団から次の小集団を目標にと走りました。最終周回は下りきって2名になったからかろうじて後ろ姿の見える前の1人を捕まえて3人でゴールスプリンが楽しいハズとローテーションを廻そうと思って一生懸命牽いて、もうそろそろ交代してくれないものか長すぎですと何度か思った後、後ろの人が前に出たと思ったら進路を変え、なんということでしょう千切りにかかってきます、千切られました。
そうなるんじゃないかと思わなくもなかった、話をしておくべきだったなあ。彼は前の人に追いついたんだろうか、追いついたのならば何も言うまい(偉そうかな)。追いつけていなかったとしたら2人でもう少し協調していればと思わずに入られません。ゴール前では、1人でできるだけのスプリントをして予想を遙かに上回る順位でゴールしました。
結果: 19位(/52/110) ゼッケン66 1時間10分31秒005 35.4km/hr(平均時速だけならチャンピオンレースで10-15位だあ!なあんてね)
ゴール後は興奮冷めやらず流行り(?)のダウンがてら坂を登っていたら、有難いことにosr店長に「足残ったでしょ!フォーカス効果!」と労いの言葉を頂きました。clnとc3のメンバーはもとより、大会を運営して頂いた連盟の皆さんや炎天下の沿道で交通整理をしてくれた高校生の皆様、レースに参加または応援の皆さん、屋我地島の住民の皆さん、そして灼熱の中補給してくれたチームマッサーyttnに心より感謝しつつ、また来年の開催を待ちたいと思います。本当にありがとうございました。
追想
様々ブログを覗かせてもらうと、chbちゃんを含め、上位の人達は足を攣るか攣らないか、攣ったまま走れるか走れないかで勝負していたそうだ。振り返ると、ほとんどの周回で上りきると先頭集団のおしりにいて、うねうねくねくね農道から下りに入る前までは集団に置いていかれないように足を使っていたような、全周回で集団の前の方に位置できることが勝負できるかどうかの分かれ目だったのかしらね。
この距離なら補給は水と粉入り水のみで十分でした。もらった水は惜しげなく体に掛けて、下りで涼しくなって良いかも。攣らないためには練習をもっとするしかないと思いました。そして、、何かやるなら、いっそ元気のある5周回より前かなと振り返るものの、肝心なのはアタックするだけの力と心だと改めて実感しました。
また次の機会に皆で楽しめるのが待ち遠しいです。
久方振りのレースに向けて3ヶ月間、週に2-3回くらい1人で筋力強化の1-2時間と、2週に1回くらいhdと心肺強化+脂肪燃焼の4-5時間を走ったカナ?レース中と同様に距離などのデータはありません。近所で使った坂は、東海岸沿いで新里ビラや沖縄CC、坂田、内間、奥間、南上原サンエー、比屋根などです。練習中の脛から流れる汗を観て、さらに練習後1-2日後の膝下のほっそり具合に悦に浸りつつレース日を待ったのでした(レース後は、膝下が少しづつ膨らんでくるのを嫌って、走りに行ってたりもする)。hdの発破とfjtさんのご尽力でizalcoの整備が間に合い、相まって体は-3kg、機材は-4kg(+α!=未整備Tiagra→整備済DuraAce!)と人馬ともに減量バッチリでレースに臨むことができた。
レースの画像漁りの成果を、無断で纏めてみちゃったので、良ければ覗いてみてください。沖縄の自転車ブロガーの皆さんに、ひっそりと感謝です。
2012年12月2日
登録:
投稿 (Atom)