この辺りの幾つかの島では、アギヤーという漁法で漁が営まれている。この漁法は伝統漁法の一つに挙げられていると同時に、若い担い手がおらずその存続が危ぶまれている。実際に海で見たことはないが、web上で紹介されているこの漁についての記事を読むと、大そう迫力があり、同時にとても大変そうなのだ。
この漁を大まかに説明すると、グルクンなどの群れをつくる小型の魚を、海中で幾人かの長い竿を振る追い手が、船によって広げられた網に追い込むというものである。もとは、1890年代のウチナー-イチマンが発祥で、大正時代(1910年代から)にはミャークやヤイマにも伝わった、確かに100年以上の歴史ある漁法だ。だが、現在は新聞やテレビなどに取り上げらるのは、もっぱらミャークやヤイマのアギヤーで、イチマンのアギヤーは聞かない。
昔も今も、アギヤーは迫力があり、大変であるのは変わりないが、おそらくその形態は大きく異なっている。少なくとも、、櫂や帆に頼った動力はエンジンになり、追い込む網や追い手の持つ竿の材質は天然素材から化学工業製品に、そして追い手はフィンを履き、ウェットスーツを着て圧縮空気のタンクを背負っている。この圧縮空気が曲者だ。
アギヤーに従事している人から直接聞いた話しからも、web上でこの漁を紹介している記事からも、この漁の大変かつ危険である理由の一つが潜水病であることがみえてくる。圧縮空気を使用した潜水作業をする際に必要な潜水士資格の教科書やレジャーダイビングのライセンスの教科書で、必ず取り上げられる潜水の最大のリスクがこの潜水病だ。圧縮空気を高圧環境下(海中)で体内に取り込み、それが常圧環境に戻るまでに排出されなければ、体内で気泡となり、血管などの器官に障害を生じさせるのである。
アギヤーでは、追い手が魚の群れを網に向かって追う。これは、いうなれば群れの動きに合わせて、海中を縦横無尽に泳ぎ回ることである。追い手の泳ぐ深度の変化は大きくて速い。圧縮空気を使用した潜水では、これは厳に避けるべきことである。この行動により、追い手は容易に潜水病に罹患する。直接話しを聞いた例だけでも、3人は重篤な潜水病となり入院、そのうち2人は漁に戻ってはいるが手足に麻痺の障害を負い、1人はもはや漁には戻れない半身不随の体になっている。
このような現在のアギヤーは、もはや伝統では無い。伝統とは時に磨かれた事物であり、現在のアギヤーは決して時を超えられる漁法ではない。アギヤーが培った、暦をはじめ海や魚などの膨大な、愛おしく神秘的な知恵は確かに伝統、もはや伝統以上であるのは疑いようがない。しかし、どのような漁師が、そしてその妻が、この危険な漁法を子に孫に伝えたいと考えるだろうか?危険性を注視すれば、もはやダイナマイト漁に近いとさえ言える。県魚であるグルクンをこのような犠牲を払ってまで食べ続けることは、もうこれ以上許されない。
現在の地元の漁業は全国の例に漏れず、この辺りでも漁獲高や採算、従事者数をはじめ問題が山積みであることは確かだ。この状況下で、漁業者はなんとか生活を維持し、われわれに地元の漁獲を提供し続けてくれている。そんな漁業者に対して、伝統漁法アギヤーなどと呑気に鑑賞していては、最早いけないのだと思う。心身を、ついには命を削ることは、正しい漁業ではないと思う。このような漁業をせざるを得ない状況を放置し、すべての犠牲を漁業者に追わせておくべきではない。
解決の糸口は易々と、しかも一人で考え付くとは思わない。ただ、このような大変にネガティブな話だけでなく、見聞きした貴重な漁業の話をこれからもしていこうと思う。
2009年3月30日
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