2009年6月20日

観光地

どうすれば、産業を興せるのだろう、観光業を振興出来るのだろうと、この島では長らく、そして常に考えられてきている。

つい先日も、友人がある島の青年会議への参加を要請されたと聞いた。直接その友人から話を聞いた仲間内の一人は、本人から早速ちょっと相談にのってくれと持ちかけられたそうだ。話を持ち掛けられた彼は、島で自転車レースを企画したり、自転車チームの合宿を誘致したら良いのじゃないか、など話したそうだ。伝え聞いた僕ともう一人も、はて、と考え始めた。僕は、自転車レースの企画や自転車チームの合宿は立地として難しいどころか無理!、なんて超後ろ向きな感想を意見した。すると、もう一人は、自転車関連はちょっと?だけれど、いや地域のキャラクターグッズをつくったら良いんじゃん、と提案。

いゃ、それも、違うと思うんだ。こういう場合、確かに何かを考案して、企画して、ニュースに出て、世の中に広まって、なんてヒットみたいなものが期待されているのだと思う。けれど、それは一過性。観光地として定着するには、その土地で体験するあらゆる事が、あぁ良かったなぁ、また行きたいなぁ、と印象付けられる物事に掛かっているのだと思う。あらゆる物事、住民が、これはまぁ仕方ないかと思うような事、もしかしたら気にも留めないような事も含めあらゆる物事だ。地域が積極的に提供するものだけが観光対象ではなく、それは別に観光用にしていませんよというようなもんも含め、あらゆる物事。新たに何かを始めたり作り出したりするのも良いだろう。けれど、その前にもっとする事があると思う。少しの事をこつこつと改良を重ねそして維持する、時を重ね意識を熟成する。もっと分かりやすい、サンプルをつくれれば良かったんだけれど、良い景観と言われている景色だって、まだまだ、の見本として。気付いたかな?上と下の違いは電柱を消したり、建物の色(雰囲気)を統一したりしている。赤瓦の屋根に統一というのは、最早あまりにも作られた観光地の印象があるから、そこまではとも思うが。水平線を遮らない建物、車の窓から見た景色には電線や電柱、さらにはガードレール、これら煩わしい直線に遮られず何処を向いても目に素晴らしい、散歩をしてふと目をやった路傍の記憶にはゴミが一欠片も無いとか。それだけでも、島を訪れる動機となる印象の一つになるはず。農地に不用なビニール類を放置しない。唯一の足である客船には豪華でなくともくつろげる船室、できるだけ匂いや温度にも気を配った環境を保つ。船やターミナル、島中の公共施設のトイレは全て清潔を保つ。もちろん直接お客さんと接する状況でのサービスの向上は当たり前の事として。これらはきりがない、すべき事は幾らでも出てくる。ぱっと目を向けたその先に映る様々が改善の対象、会社を良くする事も一緒、いわゆるうるさいおじちゃんやおばちゃんの小言のごとし。そう思わない?

(行ってきました、あの企画!の)長く苦しい自転車ツーリングの後の車中の会話では、ここまでは話せず。その後見聞きした話では、観光産業と地域振興についてはグアムを参考にするとまた違った側面があるのだそうだ。時間があれば、また今度。

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